藤原慎也、世界一過酷な「ダカール・ラリー」に初挑戦15日間 7,983kmを走破し、見事完走を果たす!

夢の舞台は苦難の連続。骨折による激痛や複視を乗り越えて辿り着いたゴール

藤原慎也 Road to ダカール・ラリープロジェクト事務局(株式会社BARIKI:所在地|大阪府大阪市/代表取締役|加藤亮)は、本プロジェクトの発起人でありトライアルライダーの藤原慎也(以下、藤原)が、“世界一過酷なモータースポーツ競技”と言われる「ダカール・ラリー」に初出場ながら見事完走を果たしましたので、お知らせします。

今大会で48回目を数える「ダカール・ラリー」は、2026年1月3日から17日まで、サウジアラビアで開催されました。3ヶ年計画で参戦権を獲得し、夢の「ダカール・ラリー」のスタート地点に立った藤原は、初日から果敢に難コースに挑みました。しかし、転倒によりステージ2で目の周りを、ステージ5では鎖骨を骨折。複視や骨折による激痛に見舞われながらも、15日間 7,983kmを見事走り切りました(二輪部門 総合55位、RALLY2クラス 44位)。

大会唯一の日本人ライダーが選んだバイクは、日本メーカー「ホンダ」の特別な1台

藤原が「ダカール・ラリー」で使用したバイクは、ホンダのモータースポーツ専門の会社HRC(ホンダ・レーシング・コーポレーション)が開発した競技用パーツが装着された、世界限定50台の特別なバイク、CRF450 RX Rallyでした。高い信頼性はもちろん、「スムーズに回るエンジンと、6速ミッションのおかげで、とにかく振動が少なく、体力的にもアドバンテージとなるマシン」(藤原)で、藤原の初完走を強力に後押ししてくれました。

そんな特別なバイクのメンテナンスを行い、大会を通して藤原をサポートしてくれたのは、イタリアの名門 RS moto RACING。HRCとラリーに参戦するライダーの支援体制づくりを行うことに同意するなど、ラリー競技における豊富な経験と高い技術力を持つチームです。藤原はそのチームのライダーとして「ダカール・ラリー」に参戦しました。マシンの修理、整備はもちろん、ライディングや戦略の相談・アドバイスを受けられる環境は、大会唯一の日本人ライダーとして単身「ダカール・ラリー」に初挑戦した藤原にとって、非常に心強いものでした。

100m級の砂丘や砂に隠れた岩々…。ナビ・GPSは使用不可。頼りは直前に渡される「ロードマップ」だけ!

2026年「ダカール・ラリー」のスタート・ゴール地点は紅海の港町ヤンブー。全行程7,983kmの内、4,737kmがSS(競技区間)で、2回のマラソンステージも設定されていました。マラソンステージとは、メカニックや外部のサポートを受けずに2日間のステージを走り切るもので、簡易ビバークでライダー自らがテントを張って睡眠をとり、マシンの整備をしなければいけません。

コースは砂丘(デューン)、砂の崖、砂漠、渓谷、岩だらけの河川敷、砂に覆われた岩場など、一瞬たりとも気が抜けない難所ばかりで、時に砂嵐や四輪車が巻き上げる砂煙に視界を遮られることもあります。その中を、ロードマップを操作しながら、最高時速160kmで走行することもあるのです。死と隣り合わせ、そういっても過言ではない厳しさが「ダカール・ラリー」にはあるのです。

「実際、レース中に心臓マッサージを受けているライダーを目にしましたし、何人ものライダーがレース途中でリタイヤを余儀なくされました。僕自身もドクターヘリで搬送されてもおかしくない怪我を負いました」(藤原)

 骨折による激痛や複視を乗り越え辿り着いた、夢にまで見たゴールポディウム

それでも藤原はレース続行の決断をしました。「順位を追うのはやめて、完走することだけに集中しよう」と。とはいえ、ゴールまでには難所がいくつもありました。 2度目のマラソンステージ、200km以上続く砂丘群や岩の川など、体調が万全であってもハードなコースが藤原の前に立ちはだかったのです。患部をテーピングで固めているとはいえ、路面のギャップを超えるたびに激痛が走りました。それでもトライアルで培ったライディングスキルとこの3ヶ年計画での経験をフル活用して、ひたすらゴールを目指しました。

そして迎えた最終日。最後の最後にレーサーとしての欲が出て転倒。泥だらけになりながらも、藤原は138kmのステージ13を走り切り、無事にフィニッシュエリアに到着しました。

「ダカール・ラリー全体が僕の完走をサポートしてくれているように感じるほど、多くの支えを頂きました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。世界中からの応援が、私を守ってくれたんだと思います」(藤原)

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